キャロル・アン・ダフィ 「ヴァレンタイン」 |
桂冠詩人(Poet Laureate of the United Kingdom)というのが
今も存在するのですね。
テューダー朝のエドモンド・スペンサーに始まり
ベン・ジョンソン、ジョン・ドライデン、ワーズワースなど
英文学史を勉強すると必ず登場する名前ばかりなので、歴史上の存在かと思っていた。
特にエドモンド・スペンサーはThe Faerie Queene(『妖精女王』)という(間接的に)エリザベスⅠ世を讃える長詩を書いているので、私の中では桂冠詩人というとスペンサーのイメージが強かった。
スペンサー式ソネットを発案したスペンサー。 (c 1552-1599)
ちなみに、Shakespeareは桂冠詩人ではないのですね。
エリザベス女王もシェイクスピアの演劇を愛好していたのだけれど
やはり詩人というよりは演劇人ということで、桂冠詩人とはならなかったのか。
シェイクスピアはカトリックだったとも言われていて
もしかしたら政治的宗教的なことも関係していたのかもしれない。
キャロル・アン・ダフィは初の女性、初のスコットランド人、初の同性愛者Poet Laureate。
今年はエリザベス女王即位60周年のダイアモンド・ジュビリーで数々のお祝いが行われているのでダフィも祝辞の詩を捧げたりするのでしょうか。
なんだかダフィの詩のイメージと、合わないようにも感じる。
少し時期外れですが代表作、ヴァレンタイン・デーの詩。
今日、玉ねぎを調理していてこの詩を思い出したのだ。
Valentine by Carol Ann Duffy
Not a red rose or a satin heart.
I give you an onion.
It is a moon wrapped in brown paper.
It promises light
like the careful undressing of love.
Here.
It will blind you with tears
like a lover.
It will make your reflection
a wobbling photo of grief.
I am trying to be truthful.
Not a cute card or a kissogram.
I give you an onion.
Its fierce kiss will stay on your lips,
possessive and faithful
as we are,
for as long as we are.
Take it.
Its platinum loops shrink to a wedding-ring,
if you like.
Lethal.
Its scent will cling to your fingers,
cling to your knife.
ヴァレンタイン
赤いバラではなく サテンのハートではなく。
玉ねぎをあげる。
これは茶色の紙にくるまれた月よ。
恋人の服を脱がせるように そっと皮をむけば
光が現われる。
ほら。
玉ねぎの涙で 見えなくなる
恋人みたいに。
鏡に映る姿は ぐらぐら歪んで
悲しみの写真になる。
わたしは本当のことを言っているだけ。
かわいいカードではなく キスマークでもなく。
玉ねぎをあげる。
この強烈なキスはあなたの唇にずっと残る
独り占め 熱烈に。
わたしたちみたいに
わたしたちが恋人でいる間はね。
さあ 受け取って。
プラチナのオニオンリングが縮んで 結婚指輪になる。
もしお望みなら。
致命的。
玉ねぎの匂いは あなたの指にとり憑く、
ナイフにもとり憑く。
(森山 恵 訳)
ヴァレンタインに玉ねぎというのが、意表を突く。
しかも玉ねぎ⇒月と来るところがもっと驚く。
皮を剥いてスライスしたり、みじん切りにしたり
どれだけ玉ねぎを見て触れて、お料理してきたかと思うけれど
この詩を読むまでは玉ねぎを月、と思ったことは一度もなかった。
確かに玉ねぎの皮を剥くと、びっくりするほどツヤツヤと光って美しい。
パールの艶だ。
手のひらに載った月、本当にそうだ、今日もそう思って玉ねぎをしばらく見ていた。
そして2つに切るとジューシーで、一気に涙が出てくる。
皮を剥いてみじん切りにして(これがとっても大変)炒めて
その間中ずっとずっと泣いているのだ。
目が真っ赤になって鼻水が出てきたりして、まったくみっともない。
泣きすぎて頭がぼーっとしてきたりする。
俳句では「台所俳句」という言い方があるけれども、これはまさに「台所詩」だ。
きれいごとではないリアリティある言葉が書かれている。
夜空に光っているきれいごとの月ではなくて、日常の台所にまで下りてきた月の詩。
淡々とした日常の言葉で愛の真実を語っているのだ。
月の光のような輝く愛から、涙を零させる痛み、
ナイフを突き刺すような激しい感情までが、一個の玉ねぎから立ち現れる。
ダフィはシンプルな言葉で複雑な感情を表現したい、と語っているけれど
まさにそのような詩だ。
愛の歓びから葛藤、矛盾、別れの予感、さまざまな感情が書かれていて
胸が痛いような、怖いような気持にさせられる。
今、キーボードを叩いていても、まだ指に玉ねぎの匂いが残っているような気がして
もう私の指にも、すっかり彼女の詩がしみ付いて、離れない。
玉葱の皮むき女ざかりかな 清水基吉
俳句にもこんな艶っぽい玉ねぎがありました。